にこらのブログ(カメラ修理館)

クラシックカメラを修理、収集している学生のブログです。

FUJICA 35SEの分解修理とCITIZEN MLTシャッター

 

今日はフジカ35SEの分解修理をしました。

かれこれクラシックカメラにどっぷり浸かるようになってから7年近く経ちますが、未だに富士写真フイルム(富士写真光機ではないんだね)フジカのレンズシャッターカメラには全く縁がなく、知り合いにいただいたジャンクのフジカ35MLを持っていたくらいです。

 

このカメラはレンズに非常に定評があります。

巷に「フィルム屋のカメラにはハズレがない」とよく囁かれていますが、フジカ35MLやフジカ35SEのFUJINON 45mm F2/F1.9は一段とささやかな人気があるレンズだったりしますね。

 

インターネット上にいくつか作例写真が上がっていますが、どの写真も非常に整ったコントラストでボケ味も美しく、非常に優れたレンズであることがうかがいしれます。

 

富士写真フイルムのレンズ設計者といえば、FUJINON 50mm F1.2の土井良一氏が有名ですが、このレンズはどなたが設計されたのでしょう。

 

カメラのデザインはフジカ35Mに引き続きフジペットのデザインなどで有名な東京芸術大学の田中芳朗氏が担当されたそう。

 

この時代からデザインでいえばミノルタカメラのデザインをされたKAKや、キヤノンカメラのデザインをデザインをされた川田龍宥氏、そしてズノーペンタフレックスのデザインをされたG.K.インダストリアルデザインなどデザイン専門家が積極的にカメラのデザインに参入してきた時代です。

 

そして極め付きはシチズンMLTシャッター

国産で初めて無制限1/1000を搭載した国産最高級シャッターです。

誇らしく1/1000の表記とF1.9の表記があります。

 

国産のシャッターは戦後、精工舎やコパルのシャッター、亜流では日本光測機のシャッターが有名でしたが、1955年ごろからシチズン社もシャッターの製造を始めたようです。

 

後にミノルタユニオマットに採用されたオプチパーユニシャッター、ハイマチックに採用されたオプチパーユニEシャッターなど名機を生み出します。

 

絞り羽、シャッター羽根ともに油がまわり固着しているジャンクの個体を購入してきたのでシャッターの観察をしたい私としては好都合。

 

シャッター各部品とシャッター羽根、絞り羽根を分解洗浄しました。

 

シチズンシャッターで変わっているところといえば、羽根の先を僅かに曲げてあるところ。5枚のうち3枚がこの形状になっており、中間の2枚は平らなままです。間違えて組みたてると羽根が傷だらけになりそう...。

 

絞り羽根も同様に洗浄します。

 

LV方式のような作動をする機構のため、無理に動かしたのか絞り羽根が外れていました。無理に動かすと破損することもあるので注意です。

 

絞り羽根を組み込みました。

 

組み立てたシチズンMLTシャッター

仕上げも見事で国産では第一級をいくシャッターだと思います。

 

戦前の材料も加工もおぼつかなかった時代の国産レンズシャッターをみていると立派になったものだと思います。

 

当時のシチズン時計で有名な腕時計はシチズンホーマーでしょうか。

腕時計のムーブメントが真鍮にニッケルメッキを施したものに対して、腕時計でいう地板までアルミで作られたレンズシャッターでは加工も似て非なるものだったと思います。

 

カメラを組み立てシャッターテストです。1/1000です。

1/500よりは若干早いくらいの速度ですね。経年でスプリングが弱くなっているのでしょうか。もとから?

 

1/1の実測値です。このほか各速度も正確に出ていました。

 

今回はシャッターの興味だけで分解修理しただけですが、ファインダーも非常にコストの掛かったプリズムをビームスプリッターに使用したものが使われていました。

 

キヤノンのキヤノネット以前にはこうしたカメラも数多くありましたが、キヤノネット以後はどこもコスト圧縮に夢中になったのかこういった手間のかかったカメラは少なくなってしまいます。

 

海鴎4A / SA-85 75mm F3.5にて撮影

海鴎4A

4月も中旬に近づくにつれ桜もピークを過ぎ、散っていく様子がみられるようになりましたね。あれだけ楽しみにしていた桜もわずか1週間ほどで散っていくとは儚いものですね。

 

先月末に、フォロワーさんが来京された際に、皇居周辺で撮影会をした記事を書きましたが、そのあと銀座まで歩き、銀座の某カメラ店にて海鴎4Aという二眼レフを購入しました。

 

nikora060.hatenablog.com

 

海鴎4A

いつか、上海照相機製のカメラでは鳳凰205というキヤノンキヤノネットのようなレンズシャッター機を持っていましたが、作られた時代が1980年代から90年代という非常に新しい部類というのもありましょうけど、意外とアルミダイカストのボディはしっかり作られており、距離計も露出計もよく調整されており、メッキも全盛期のコニカのように分厚い。悪くないカメラじゃないかな?と思っていました。

 

結局、あの鳳凰205は一本だけフィルムを通して売ってしまいましたが、3群4枚のテッサータイプレンズということもあり、癖もなく、そつなく使いやすいカメラだった覚えがあります。

 

今回の海鴎4Aもおそらく80年代の機種で、時代にそぐわないほど古臭い仕様であるのはさておき、時代なりにアルミダイカストの質はよく、塗装もメッキも綺麗、良さそうです。

 

シャッター周り

 

シャッターは鳳凰205と同じと思しき、プロンタータイプの1-1/300のシャッター。

性能で言えば、1955年でも中級機の水準でとりたてて優れていません。ヤシカAかよ。

 

テイクレンズはSA-85という75mm F3.5のトリプレットタイプです。

この国の光学硝子の製造水準がどうだったのか、全く見識がありませんが、時代なりにランタンクラウン系の新型硝材が使われていれば、まぁまぁ期待できます。

旧型硝材で構成されていれば、まぁカスでしょう。

 

いや、それこそ、ぐるぐるボケで楽しむという観点で考えれば、それでこそ存在価値があるというのか...?

 

ちなみにSA-95やSA-99というテッサータイプレンズ搭載機なんかもあるそうで、選択できたらしい。リコーフレックスダイヤかなー?

「SA」というのは"Shanghai Anastigmat"の略らしい。時代よ...。

 

巻き上げクランク

素晴らしいと思ったのはローライフレックスタイプの巻き上げクランク。

ガン萎えポイントが一気に解消されました。

 

内面反射防止シート

ただ、ダイキャストをウレタン系の塗装で塗装しただけと思しきカメラ内部は内面反射が激しく、これでは影響が懸念されるため、あらかじめ内面反射防止シートで囲いました。

 

早速撮影。桜がまだ満開だったころにフィルムを詰めたのでいい感じです。

フィルムはFOMAPAN 100を使いました。最近マイブームのSPDで7分現像。

 

中野サンプラザ

1/125 F11で撮影。あいにく34mmという変則径のY2フィルターを持っていなかったためノーフィルターで撮影。空が飛んでしまいましたね。

 

中央部拡大

隅拡大

絞っているというのもありますが、中央部はもちろん、周辺部も解像度は高くいいレンズですね。コントラストもなだらかに出ています。

国産の普及期では稀にひどい機種もありましたが、それとは比較になりませんね。

 

三鷹駅前第一市街地住宅

1/125 F16

一枚目の中野サンプラザは老朽化もあり、今年夏に解体される予定になっていますが、この三鷹駅前第一市街地住宅(三鷹センター)も今年解体される予定です。

 

段々と、こういうのっぺらぼうな、いかにも高度経済成長期に作られた鉄筋コンクリート造のビルが解体ラッシュで少しさみしい気もします。

ただ、老朽化もありますが、住宅や店舗設備としての基本設計の古さは否めなく、仕方がないですね。

 

チューリップ

1/300 F3.5

最後は開放でチューリップを撮ってみました。

最も近接に設定しての撮影になりますが、アウトフォーカス部分もぐるぐるボケが皆無で新型硝材を採用したけっこう設計の新しいレンズということがうかがいしれますね。

おもしろくないの。

 

持ち出している日にたまたま知人の中国の方にあったので見せたところ、「わ!懐かしい!私も香港にいたとき新品で買って使ってた!当時中国で一番売れてたカメラですヨ!」と懐かしがっていました。

 

こういう国産で国民的なカメラというのは実は存在しないのではないかって最近思えてきたんですよね。それこそ1960年代まで遡るならばキヤノンのキヤノネットのようなカメラがありますが、最近はどうなのでしょうね。

 

それこそ、もうiPhoneがその立場に立っているのかもしれません。

 

革ケースとストラップ

革ケース目当てで4A-103を買いました。

トリプレットタイプのSA-85を搭載した廉価モデルですが、ところどころ仕様が変わっておりびっくり。

海鴎4Aと4A-103

ワンタッチ式ファインダーフード→屏風式ファインダーフード

アクセサリーシューなし→X接点付きのホットシュー

すりガラススクリーン→フレネルレンズ付スプリットイメージ式スクリーン

 

1980年ですりガラススクリーンは正直時代遅れにもほどがあると思いますが、フレネルレンズ付きのスクリーン、それもスプリットイメージ付きになったのは大きいです。

 

ただ、ペンタプリズムで覗くわけではなく、ウエストレベルファインダーでスプリットイメージは選択ミスではないかと思います。

わずかでも斜めから覗くと陰ってしまってよくみえない。それもけっこうスプリット傾斜角が高いようで75mm F2.8には過剰性能じゃないかと思います。

ここはマイクロプリズムにしてほしかったなあ。

 

巻き上げクランクの二眼レフローライフレックスにしても、ミノルタオートコードいずれにしても人気があり高価で、手頃な価格帯で実用機をお探しの方にはいいと思います。

Minolta SR-T101 / MC ROKKOR 50mm F1.7 / MC ROKKOR 200mm F3.5にて石神井公園

Minolta SRT101

ようやく厳しい冬も終わり、春の兆しも見え始めてきましたね。

最近は初心に帰ってTTL露出計が普及し始めた初期の一眼レフカメラについて興味が湧いており、その時代のカメラについて調べているところです。

 

今思い返してみると、私が初めてミノルタSR-T101を手にしたのは中学2年の春でしたから6年前になりますが、実際に撮影に使用したのは2回だけで、そのうち二回とも売り物の内蔵露出計を使わず撮影していました。

 

このカメラの生まれたころは1964年から1965年にかけてのオリンピック不況後の余韻がいまだ残っている時代でした。

製品在庫の過剰現象から過当販売競争になり、メーカー各社の利益率が目に見えて減少し経営面では赤字転落や減配する会社が相次ぎ、倒産するカメラ会社まで出る始末、ミノルタカメラもその波を免れることができず、1965年下期、1966年下期とも無配当転落をした年でもあります。

 

製品でいえば、ミノルタハイマチック7やミノルタNew SR-7などデザインやダイカスト型を一新した中高級機種を相次いで発売しており、順調のようにみえますが、業界全体でも過剰な設備投資などが祟っていた時代でもありますからそういう時代だったんでしょうね。

 

写真工業(1966/9)

1963年東京光学機械から発売されたトプコンREスーパーはTTL露出計内蔵一眼レフカメラの嚆矢となり、1964年にはベストセラーとなったペンタックスSPが旭光学工業から発売されます。
その後も各社からTTL露出計内蔵第一号機が登場するわけですが、測光範囲に関していえばどのメーカーも平均測光或いは中央部分測光に固まっており、横並びのような状態でした。

 

1968年ごろになれば、ミランダ・センソレックスやマミヤDTL1000など、平均測光・中央部分測光兼用カメラも発売されます。まだその時代ではありません。

 

直近の1964年ごろを覗いてみれば、ミノルタSR-7に代表されるCdS素子を採用した連動露出計内蔵カメラですら喜ばれる時代でしたから、TTL露出計内蔵というだけで立派だったのでしょうね。

 

さて、ミノルタTTL露出計内蔵第一号機であるミノルタSR-T101ではCLC(Contrast Light Compensator)という分割測光の原型となる方式を採用しました。

SR-T101の大きな特長は、ミノルタカメラ独自の開発による”CLC(Contrast Light Compensator)”方式という測光方法を採用していることで、これは図のようにペンタプリズム上面に2個のCdSメーターをおいて上下分割で部分的に非常に明るいところがあっても、その影響は分割された範囲内だけにとどまることによって、集約されたメーター指示への影響が少なくなる方法

「写真工業(1966/4)」p.16(写真工業新聞社,1966)

 

と説明されているように、部分的に明るいところがあれば、暗い箇所に合わせるといったある種のカンを要していた従来の平均測光式とは一線を画す形式になっています。

 

そんなミノルタ回復のきっかけとなった高級機、ミノルタSR-T101ですが、ほぼほぼ変わらないミノルタSR101にバトンタッチする1973年までかれこれ7年近く製造が続けられました。

 

MINOLTA SR-T101分解写真

 

今日の撮影では、ミノルタSR-T101にMC ROKKOR-SG 28mm F3.5(New)にMC ROKKOR-PF 50mm F1.7(New) 、MC TELE ROKKOR-QF 200mm F3.5を使用しました。

フィルムはROLLEI RETRO 80Sを使用し、EI:50にてD-76現像しました。

 

桜が咲いているかと思い、練馬区にある石神井公園に出かけましたが、梅がわずかにさいているのみで桜はまだ1分咲きといった感じ。

 

MINOLTA MC ROKKOR-SG 28mm F3.5

ハイライト箇所はありませんが、非常になだらかなトーンを表していますね。

 

MINOLTA MC ROKKOR-SG 28mm F3.5

今回、西武線沿線に住んでいる割に一度も行ったことがなかった石神井公園にはじめて行ってきましたが、わりあい静かで落ち着いた公園ですね。

一周3,4kmほどある2つの池(三宝寺池石神井池の周囲に22Haほどの公園があり、石神井池ではスワンボートも貸出をしていました。

 

開園は1959年3月といいますから、西武線沿線に宅地が造成され始めたころでしょう。

 

MINOLTA MC ROKKOR 200mm F3.5

鵜の羽干しというらしいです。羽をひろげ、日光に向けて乾かす仕草をしていました。

今回の撮影ではミノルタSR-T101のほか、SRT SUPERも同時に使用しましたが、SRT SUPERではマイクロプリズムだったスクリーンがスプリットに変更されており、望遠レンズでは若干の使いづらさを感じました。

 

しかし、露出計内臓の情報集中ファインダーはさすが爽快(現代の感覚からするとアホのようだけど)で、カラーバランスの整ったファインダー内と相まって非常に撮影のしやすいカメラでした。 

 

 

MINOLTA MC ROKKOR 200mm F3.5

 

MINOLTA MC ROKKOR 200mm F3.5

 

 

引き伸ばし

撮影のあとは引き伸ばし!

 

1968/4

ちなみに追針式メーターですが、オタマジャクシの丸の端っこが中央部からそれぞれ一段に相応しています。縁の三角は露出計連動範囲(EV3-17)の表示、四角はバッテリーチェック時の指標です。

 

1972/12

Nikon Nikomat FT2 / AI NIKKOR 50mmm F1.4 / AI NIKKOR 135mm F3.5にて皇居外苑撮影

Nikomat FT2

本来は日刊誌であるはずのブログも、週刊誌を通り越し、月刊誌くらいに更新ペースが下がっていますが、ここ最近は連続で4本ほどフィルムを回しているためブログネタができました。

 

昨日はあるフォロワーさんが18切符をつかって新潟から東京に遊びにいらしたので、東京駅周辺にて撮影会を開きました。

 

相変わらず気温が10度ほどで寒さの抜けない3月中旬の東京ですが、春らしい澄み渡った青空、いい撮影日和でした。

 

AI NIKKOR 50mm F1.4

 

フィルムはだいぶ前に長巻で買ったRollei RETRO 80sをEI50で露光し、自家調合のD-76にて現像しました。やはりRollei RETRO 80sは難しいフィルムで、昼光下でY2を掛けてあげないと非常にコントラストの高い使えないネガが出来てしまうんですね。

 

分光感度が広いだけ(近赤外まで感光域があります)で、決してラチチュードが狭いわけではないと思うんですが、常用フィルムにするには厳しいフィルムですね。

 

一時期、まだAgfaが値上げする前にAPX100や400を長巻で買って常用フィルムにしていましたが、あれは素晴らしく使いやすいフィルムでした。

 

ハマると非常に癖に合うシャープな描写が得られますね。

 

Ai NIKKOR 50mm F1.4

 

最近は高校の時分に聴いていたサカナクションをよく聴いています。

この写真なんかユリイカ/サカナクションがちょうどいいのでは。

 

 

AI NIKKOR 50mm F1.4

 

AI NIKKOR 135mm F3.5

 

教科書構図です。

 

AI NIKKOR 135mm F3.5

 

EI 50で露光していたため、ピーカンでも1/125 F8くらいしかないんですよね...。

 

AI NIKKOR 135mm F3.5

 

都内レンタサイクルというのも楽しそう!

 

AI NIKKOR 135mm F3.5

 

NIKOMAT FT2の内蔵露出計は中央重点測光ですから、こういう環境下ではグレートーンを作りたい箇所に向ける必要があります。このときは奥のビルに向けました。

 

AI NIKKOR 35mm F2

 

このネガの最後です。これも定番の構図ですね。

BRONICA S2 / ZENZANON 75mm F2.8の試写

 

昨年12月に名古屋名鉄百貨店で開催された世界のクラシックカメラバーゲンにて手放してから久しかったBRONICA S2ブラックを買い直しました。(いやー凛々しい!)

 

一般的な標準レンズNikkor-P 75mm F2.8を付け何本かネガを撮ってみたはいいものの、以前も所有していたこともあってなんだか物足りない。

 

それからしばらく経ったある日、都内中古カメラ店を巡っていたら存在は聞くものの、その実物をみたことのなかったZENZANON MC 75mm F2.8を発見。

 

噂によれば東京光学製のプラナー構成とのことですが、日本光学Nikkor-P 75mm F2.8がクセノタールタイプだったこともあってどのくらい変わってくるのか気になりますね。

 

最近導入した入射光/スポット兼用式のセコニックL-408を使ってみます。

これが実に使い勝手のいい露出計で、そもそも兼用になっているため2つ持ち歩かなくても済む点が一つ、凹凸の少ないデザインのため持ち運びに不便しない点がもう一つ。

そして、デジタル式のためメモリー機能が充実している点、その3つが素晴らしい。

 

露出計のデファクト・スタンダードがセコニックスタジオデラックスになっていますが、そもそもアナログ式のためメモリー機能に乏しく、等間隔目盛りでないため視認性に劣り、ダイヤルで合わせないといけない。

 

スタジオ用途ではなく、スナップ用途になるととたんにうっとおしく感じるものです。

 

アタッチメント交換式ではなく、こうして両機能内蔵式の使い勝手のいい露出計が新品で出ていればほしいんですけどねえ。

 

 

フィルムはILFORD HP5+を使いました。

35mm判だと粒状性でISO400は避けたくなりますが、そこはフォーマットサイズの暴力ということで。

BRONICA S2

ZENZANON MC 75mm F2.8

1/250 F16 EI:400 Y2(SC48)

ILFORD HP5 (D-76)

 

いい感じのコントラストですね。

 

BRONICA S2

ZENZANON MC 75mm F2.8

1/250 F16 EI:400 R1(SC62)

ILFORD HP5 (D-76)

 

R1フィルターを入れて撮ってみたカットです。これはこれで面白い?

 

BRONICA S2

ZENZANON MC 75mm F2.8

1/250 F11 EI:400 Y2(SC48)

ILFORD HP5 (D-76)

 

BRONICA S2

ZENZANON MC 75mm F2.8

1/250 F4 EI:400

ILFORD HP5 (D-76)


近接でそれなりに開けてみたカットです。

 

ボケの感じもNikkor-P 75mm F2.8に比べると柔らかで、その中にちょうどいいコントラストがあるあたり設計の新しいレンズであるということを感じさせます。

 

そもそもNikkor-P 75mm F2.8が設計が1950年代前半の航空写真機レンズに端を発していることを考えると、1972年までの20年近く設計年に差があるわけで比較するのも酷、というか多くの技術革新がある中でECの最末期まで生産され続けた方がおかしいのですが...笑

 

こうなると、ブロニカ標準レンズの中での砦、Nikkor-H 75mm F2.8DXが気になってきますね。

1975年日本カメラショーカタログでは、Nikkor-P 75mm F2.8と同じく39500円が標準価格になっていますね。4群5枚の同じような構成だったのもあるのでしょう。

 

 

キヤノン 7型/キヤノン50mm F1.4にて中野近辺の撮影と雑談

お久しぶりです(定型文

遂に月イチの投稿すらままならない忙しさですが、生きています。

さて、先月の中頃、数年ぶりにキヤノン7を入手したのでその報告です。

 

50mm F1.4付きを入手しました。魔が差したという面が大きいのでしょうが、0.95付きがキヤノン7の唯一のステータスとなっている現在、F1.4付きの姿を見て一目惚れしたというのが理由の一つです。以前も所有はしていましたが、とかくおもしろくないカメラだと思って大した愛着も湧かなかったのですよ。

 

距離計キヤノンはS2型からIIB~IVSb改良型、VIL、P、7と主流の機種を全て揃えていましたが、その最後という理由をつけ、なんとなく買っただけで使うこともなく終わってしまった気がするなあ。

 

世間ではセレンのデザインからさして人気のあるカメラではありませんが、距離計キヤノンでは最多の12万台を生産、仮にも距離計キヤノンの末裔、そして高級機ということもあり非常に機能はまとまりのある扱いやすいカメラに仕上がっています。

 

各部の意匠は従来のキヤノンV型、VI型を継承したモダンなデザインになっていますが露出計の搭載でシャッタースピードダイヤル周りが盛り上がった格好になっており、そのためレリーズボタンが押しにくいという本末転倒なことになっていますね。

 

私はレリーズボタンを別途つけることで対処しています。

 

また、デミと部品を共用したのか巻き上げレバーも寸足らずなものに変更されています。これも不格好の要因では。

 

先週末、ある方と撮影会がありその際にキヤノン7について話題になりましたが、キヤノン7の不人気の理由一つであるセレンの採光窓がまるで歯医者待合室の窓ガラスのようで不格好で仕方ないというはなしになり、不覚にも笑ってしまいましたね。

 

当時のカタログです。

50mm F1.4付きは47,500円。50mm F1.8と比べても5000円差という非常にお手頃な値段に設定されていました。その理由としては

50mm F1.4としては破格の4群6枚構成だったことが挙げられるでしょう。

第六面の曲率が低い...美しい(だまれ

設計者はキヤノネットのSE45mm F1.9(4群5枚構成)や50mm F0.95の設計でおなじみの向井氏だったようです。彼は商業的な要求もあるでしょうが、この時代にはとにかく枚数の少ないレンズの設計を目指していたようです。

キヤノンP型が高級距離計機の価格破壊に成功し商業的にも成功、大変なインパクトを残しましたが、既存の高級機であったキヤノンVI型との棲み分けがわかりにくいと評判がありました。

そこで、キヤノン7型ではP型とVI型を統合したような仕様を目指したようです。

最高級機を下のラインにあたる機種と統合するとは現在では考えられないことですね。

 

いつものアサヒカメラ ニューフェイス診断室 昭和37年1月号によれば、

従来のP型にキヤノンメーターをのせ、F1.4レンズをつけたものと、この7型のF1.4つきとをくらべてみると、前者は5万8500円、後者は5万1700円(ケースつき)で、7型の方が格安であることが分かる。

まさかの7型の方がP型より安かったようです。

 

50mm F0.95レンズは、ご指摘のとおり特殊レンズとして製作しております。性能的には従来の標準レンズとくらべなんら見劣りありません。常用としてはF1.4やF1.2が軽便であるとぞんじます。

というキヤノンカメラ側の回答もあり、やはり主流はF1.4付きだったようです。

嬉しいことに当時のフィルターも付属していました。特にS-50は50mm F1.4でしか使えないため流通量が少なく嬉しいものです。

被せ式キャップも取り付けられる薄枠のフィルター。

50mm F1.8~F1.2まで共通の革ケースです。

キヤノンVT型をデザインするにあたってデザイナーだった川田龍肴氏は速射ケースもデザインしたといいますが、この時代のカメラにとっては速射ケースも顔なのです。

 

 

 

それではCANON 50mm F1.4を使用しての作例です。

CANON 7

CANON 50mm F1.4

Rollei RETRO80s (D-76)

 

F4

F8(Y2使用)

 

F11

 

J-カメラ主催のカメラ市にて麓カリブという、以前流行った宇宙の片隅フィルムの後継作を抽選で当てたため、それを使用してみます。

普段はカラーフィルムで撮ることもないので妙に緊張します。

 

F4

もとがシネフィルムなのでしょうか、タングステンフィルムのような色味です。

 

あまり粒状性はよくありませんね。

 

F1.4開放での撮影、タングステンフィルム?のためか却って正常な色味になってますね。

 

レンズについて書きたいところですがあまし長くなるのも読みにくいと思いますので、こんなところです。では。

 

ペトリ35 F2と葛西臨海公園にて撮影

9月中旬に人から勧められ実家から独り立ちをしました。

実家からほど近いところに新居を選んだこともあり、しばらく実家と新居を行き来する生活をしておりましたがようやく物的にも揃い軌道に乗ってきたところです。

 

そんなこんなでバタバタとしていたらもう10月中旬になってしまいましたね。

 

昨年2月に松屋銀座にて開催された世界の中古カメラ市にて、一つ2時間近く逡巡した挙げ句躊躇ったカメラがありました。

 

ペトリ35F2という1957年発売、既存のペトリ35F3.5/2.8をF2レンズに、そしてシャッターを自社製のカーペルからコパルMXに変更、普及レンズシャッターカメラにF2レンズが登場したころのカメラです。

 

2000円で非常に状態がよく、格安だとは思ったのですがスルー...。

 

ペトリは元来廉価機メーカーということもあり、F3.5やF2.8の流通量は多いものの、F2となるとオリンパスコニカから強力な対抗機種が出ていたためか流通量はさしておおくありません。

 

今回のこのペトリ35F2はフォロワーの方からいただいたもので、純正革ケースにフロントキャップ付きという程度のいいものでした。

 

かれこれ1ヶ月以上後悔をうだうだ言っていたのを見かねて、だと思うんですけどね。

 

イカM3チックなデザインは非常に秀逸でこの35F2のあと、グリーンオマチックファインダーなんていう手抜き改良が加わり、せっかく端正な顔立ちだったカメラがドキツイデザインになってしまいました。

 

ちなみにイカが赤丸マークを付け始めるのがライカM4-P、軍艦部に付くのはM6からだったかと思いますが、1980年のことですから、こっちの方が26年も早いのです。

 

 

ペトリ随一に端正だと思います。次点はV6IIかな...?

 

昨日は同期と葛西臨海公園周辺を散歩してきました。

天候は非常に良く、澄み渡る秋晴れといった風情があります。

葛西臨海公園自体、小学2年生以来に訪れるためある種の新鮮味がありますね。

 

彼はソニーα7IVにヘリオス-44 50mm F2でした。凝ってるなあ。

 

カメラはPETRI 35 F2

レンズはOrikkor 50mm F2

フィルムはRollei RETRO 80s(D-76)

 

クリスタルビューという海沿いの展望デッキです。

 

海沿いを歩きました。とにかくコントラストと解像度のバランスが秀逸ですね。

まだレスポンス函数という指標がレンズ設計になかった(おおよそ1957年ごろから開発されていったそう)時代、独特のコントラストをもつレンズが多かったですね。

今のレンズがつまらないというのも、おおよそそこから来ているのでしょうけど。

 

コントラストでいえばCANON FL 50mm F1.8Iが個人的にはストライクで、クラシックカメラことはじめがあのレンズだったこともあるとは思いますが、これを超えるものには出会っていません。とにかく派手な写りをするレンズなのですよ。

FL 50mm F1.4IIになると、性格は真反対、これまた現実に忠実な端正な写りをするレンズになるのだからやっぱりレンズというのは面白いですね。

 

ペトリカメラでいえば、C.C Auto 55mm F1.8(or F2)とEE MC 55mm F1.7ではまた違った写りをします。個人的にはどちらも好みじゃない 

 

ニコンNikkor-S Auto 35mm F2.8が嫌いな一方で、同時代のNikkor-H 28mm F3.5が好きというのもおおよそそんなところにあるようです。

 

U型磁石を爪楊枝で突き刺したようなモニュメントは葛西渚橋という歩行者向けの橋です。

 

 

そして葛西臨海水族園へ。入場料700円という標準的な価格にしては非常に見応えのある展示でした。

校外学習でしょうか、小学2年生くらいのこどもが引率の先生を連れて来ていました。

 

水族園内部はとてもASA80のフィルムでは撮影できない暗さだったため断念。

これは気に入りました。レンズ固定機種ではオリンパス35-S F1.9付も素晴らしい写りをしましたが、1957年組のF2クラスはどれも気合が入っていますね。

 

参考までにオリンパス35-S F1.9付の作例も置いておきます。

 

nikora060.hatenablog.com