にこらのブログ(カメラ修理館)

クラシックカメラを修理、収集している学生のブログです。

Minolta SR-T101 / MC ROKKOR 50mm F1.7 / MC ROKKOR 200mm F3.5にて石神井公園

Minolta SRT101

ようやく厳しい冬も終わり、春の兆しも見え始めてきましたね。

最近は初心に帰ってTTL露出計が普及し始めた初期の一眼レフカメラについて興味が湧いており、その時代のカメラについて調べているところです。

 

今思い返してみると、私が初めてミノルタSR-T101を手にしたのは中学2年の春でしたから6年前になりますが、実際に撮影に使用したのは2回だけで、そのうち二回とも売り物の内蔵露出計を使わず撮影していました。

 

このカメラの生まれたころは1964年から1965年にかけてのオリンピック不況後の余韻がいまだ残っている時代でした。

製品在庫の過剰現象から過当販売競争になり、メーカー各社の利益率が目に見えて減少し経営面では赤字転落や減配する会社が相次ぎ、倒産するカメラ会社まで出る始末、ミノルタカメラもその波を免れることができず、1965年下期、1966年下期とも無配当転落をした年でもあります。

 

製品でいえば、ミノルタハイマチック7やミノルタNew SR-7などデザインやダイカスト型を一新した中高級機種を相次いで発売しており、順調のようにみえますが、業界全体でも過剰な設備投資などが祟っていた時代でもありますからそういう時代だったんでしょうね。

 

写真工業(1966/9)

1963年東京光学機械から発売されたトプコンREスーパーはTTL露出計内蔵一眼レフカメラの嚆矢となり、1964年にはベストセラーとなったペンタックスSPが旭光学工業から発売されます。
その後も各社からTTL露出計内蔵第一号機が登場するわけですが、測光範囲に関していえばどのメーカーも平均測光或いは中央部分測光に固まっており、横並びのような状態でした。

 

1968年ごろになれば、ミランダ・センソレックスやマミヤDTL1000など、平均測光・中央部分測光兼用カメラも発売されます。まだその時代ではありません。

 

直近の1964年ごろを覗いてみれば、ミノルタSR-7に代表されるCdS素子を採用した連動露出計内蔵カメラですら喜ばれる時代でしたから、TTL露出計内蔵というだけで立派だったのでしょうね。

 

さて、ミノルタTTL露出計内蔵第一号機であるミノルタSR-T101ではCLC(Contrast Light Compensator)という分割測光の原型となる方式を採用しました。

SR-T101の大きな特長は、ミノルタカメラ独自の開発による”CLC(Contrast Light Compensator)”方式という測光方法を採用していることで、これは図のようにペンタプリズム上面に2個のCdSメーターをおいて上下分割で部分的に非常に明るいところがあっても、その影響は分割された範囲内だけにとどまることによって、集約されたメーター指示への影響が少なくなる方法

「写真工業(1966/4)」p.16(写真工業新聞社,1966)

 

と説明されているように、部分的に明るいところがあれば、暗い箇所に合わせるといったある種のカンを要していた従来の平均測光式とは一線を画す形式になっています。

 

そんなミノルタ回復のきっかけとなった高級機、ミノルタSR-T101ですが、ほぼほぼ変わらないミノルタSR101にバトンタッチする1973年までかれこれ7年近く製造が続けられました。

 

MINOLTA SR-T101分解写真

 

今日の撮影では、ミノルタSR-T101にMC ROKKOR-SG 28mm F3.5(New)にMC ROKKOR-PF 50mm F1.7(New) 、MC TELE ROKKOR-QF 200mm F3.5を使用しました。

フィルムはROLLEI RETRO 80Sを使用し、EI:50にてD-76現像しました。

 

桜が咲いているかと思い、練馬区にある石神井公園に出かけましたが、梅がわずかにさいているのみで桜はまだ1分咲きといった感じ。

 

MINOLTA MC ROKKOR-SG 28mm F3.5

ハイライト箇所はありませんが、非常になだらかなトーンを表していますね。

 

MINOLTA MC ROKKOR-SG 28mm F3.5

今回、西武線沿線に住んでいる割に一度も行ったことがなかった石神井公園にはじめて行ってきましたが、わりあい静かで落ち着いた公園ですね。

一周3,4kmほどある2つの池(三宝寺池石神井池の周囲に22Haほどの公園があり、石神井池ではスワンボートも貸出をしていました。

 

開園は1959年3月といいますから、西武線沿線に宅地が造成され始めたころでしょう。

 

MINOLTA MC ROKKOR 200mm F3.5

鵜の羽干しというらしいです。羽をひろげ、日光に向けて乾かす仕草をしていました。

今回の撮影ではミノルタSR-T101のほか、SRT SUPERも同時に使用しましたが、SRT SUPERではマイクロプリズムだったスクリーンがスプリットに変更されており、望遠レンズでは若干の使いづらさを感じました。

 

しかし、露出計内臓の情報集中ファインダーはさすが爽快(現代の感覚からするとアホのようだけど)で、カラーバランスの整ったファインダー内と相まって非常に撮影のしやすいカメラでした。 

 

 

MINOLTA MC ROKKOR 200mm F3.5

 

MINOLTA MC ROKKOR 200mm F3.5

 

 

引き伸ばし

撮影のあとは引き伸ばし!

 

1968/4

ちなみに追針式メーターですが、オタマジャクシの丸の端っこが中央部からそれぞれ一段に相応しています。縁の三角は露出計連動範囲(EV3-17)の表示、四角はバッテリーチェック時の指標です。

 

1972/12