先月末、FFさんとハードオフ巡りをしました。
僕が通い詰めているハードオフですのでガラスケースには特に目新しいものはなかったのですが、レジ前の新入荷カゴにいくつかマニュアルレンズが入っておりまして。
SUN AUTO 35mm F2.5
MINOLTA AUTO ROKKOR 100mm F4.0
どれも相場に比べると非常にお手軽なお値段で一緒にいたFFさんはAI NIKKOR 28mm F3.5を、僕はAUTO ROKKOR 100mm F4.0をゲットしました。
135mmであれば廉価でよりどりみどりなんですが、個人的に105mmのニッコールレンズが好きなことも会って100mmのを探していたんですよね。
それもF4というのが体力がない&画質面で小口径レンズ好きの僕には魅力的なんですよね。
なんと550円。カビまみれで絞り羽にまで油が回っていましたが......
帰宅後さっさと清掃。
ヨシ? pic.twitter.com/XGPmkgjtwZ
— にこら (@nikora060) 2020年12月23日
先日のブログにも書いたトヨビューを使用した日に同時に試写を行ったのです。
ボディはミノルタXEを。
ライカR3のベースのボディにもなっただけあり非常に巻き上げ感触はよく、ファインダーは見やすく、文句のつけようのないボディです。
発売は1974年ですが、前年1973年のオイルショックにより日本に不景気が到来、同時に1955年より続いてきた高度経済成長期が終了、以後キヤノンAE-1やペンタックスMEに代表されるような明らかに質感が劣る低価格な電子AEカメラが流行り...ミノルタXEのような奢った設計のボディは設計されなくなったのです。
バブル期までの日本は豊かになったもののオイルショック以後の不景気設計を引き継いだ、あるいは開き直ってエンプラであることを全く隠さない新発想の機種が続々と発表、若干質感にも気を配り始めた矢先にバブル崩壊で内部シャシーまでエンプラの一眼レフが流行ったのでした。
不況の時期というのはやはりカメラ業界にとっても相当厳しいようで、1957年頃のなべ底不況、1973年以後のオイルショック不況、1991年のバブル崩壊と、それぞれでカメラメーカーはふるいにかけられ体力のあるメーカーが残ってきたのです。
例を上げるとすれば、1957年頃にはアイレス(1960)、レオタックスが、1973年にはペトリ、ミランダ、1991年にはヤシカが...といった具合です。
試写にはFOMA製FOMAPAN 200を使用
開放で撮影。FFさんにほめられたのでうれしい。
ネガフィルムのラチチュードの広さがよく分かりますね。
丸いのは太陽でっせ...デジタルで輪郭が見えるかというと…
ついでに。
これはAUTO ROKKOR 55mm F1.8で撮影
たまたま(半分狙って)大判と同じ銘柄のフィルム(FOMAPAN 200)を入れていたので露出を確認するために撮った覚えが。
前のブログにも載せた同銘柄のフィルムを装填したトヨビュー45Gで撮影した方。
35mmでは回析現象があるため意図的に絞りは変え、光線の状態も微妙に違うものの、やはり...ね。
FOMAPAN200は最近使い始めたものの結構気に入って35mmの100ftの他に4*5の50枚と120の10本入を購入してしまいました。撮るぞー?