8月も下旬を迎えて、残暑のような天気になってきましたね。
昼間はピカーっと晴れて、夜になると突然スコールのように雨が降り出す、そんな天気が続いています。
ここ最近はコパルスクエアシャッター採用機種をよく修理しています。
金属縦走りシャッターの耐久性がありますし、整備をすればどの機種でも今でも問題ない精度を出せるほか、なんといってもカメラ大国日本を作り上げたといっても過大ではない金属縦走りユニットシャッターのご先祖という尊さを感じたいのです。
まずはこのNikkorex Fの来歴から。
最初のNikon発売以来一貫して高級機を作っていた日本光学ですが、1960年に初の普及機として企画されたレンズシャッター一眼レフ「Nikkorex 35」を発売します。
「100万人のニコレックス」と大々的に売り出したNikkorex 35、下請け工場に作らせたことが原因か、はたまたレンズシャッター一眼レフ用ではないシャッターを無理やりレンズシャッター一眼レフとして使ったことが原因か故障が多発し商業的に失敗してしまいます。
かれこれ、それからシャッター故障を改良したNikkorex 35II、シャッター優先AEのNikon Auto 35、ニコンFマウント採用のNikkorex Fと4機種のNikkorexシリーズを発売しますが、遂にはどれも商業的には芳しくない結果を迎えました。
今回のNikkorex FはNikkorexシリーズの末裔として、国産初の金属縦走りシャッターコパルスクエアを使い、ニコンFマウントを採用し、かつ外注先に作らせコストを下げることが狙いだったようですが、もうすでにNikkorexシリーズの悪評が定着してしまったからかこれも商業的にはうまくいかなかったようです。
結局、コストを抑えるために外注先に作らせることはやめ、若干高級化した上に自社で製造したNikon Nikomatシリーズを発売、ヒットし1965年から1977年までの足掛け12年間、150万台以上を生産することになりました。
そんなこんなで今では失敗作として影の薄くなってしまったNikkorex Fですが、別に悪くないじゃん、と思うのですよね。
ニコンにしては珍しい軍艦部がテーパーのかかったボディですが、実はマミヤ光機で下請け製造されたボディです。マミヤプリズマットNPやWPといった機種がそっくりさんだったりします。
ユニットシャッターを採用したおかげでミラーボックスもシャッターも丸ごと上から引き抜けるようになっています。おもしろい。
一般的なカメラのように前板を外れるようにしたほうが設計の自由度は遥かに広がると思いますが、ボディシャシー製造段階でフライス加工できるようにしたのかな、と思います。確かにそれなら工程数は減りますが、はて?
組み立ててみると、確かに上から挿入しても全く干渉しないようになっています。スゴイなあ...。この努力を他に活かせなかったものかしら。
こんな構造、マミヤ以外だと国産では見たことがありません。
シャッター自体はおなじみコパルスクエア初代です。
1/8以下のシャッターが洗浄組み立て後も調子の悪い不具合があり、スローガバナーを分解して顕微鏡にて観察してみるも特に発錆している様子もなく。
打ち抜き加工で作られたアルミレバーの曲がりが原因で組み立てると本体側のシャシーと干渉するという不具合でした。そういうことね。
それにしてもこの時代のコパルは綺麗な加工をしています。
無事組み立てて完成。
Nikkorex Fには連動露出計のニコレックスメーターなるものがあり、それなりの珍品として取り扱われています。
まだこの個体ではフィルムを通していないので、以前別の個体のNikkorex Fに通した作例を上げます。