にこらのブログ(カメラ修理館)

クラシックカメラを修理、収集している学生のブログです。

コニカ1型(F2.8)の分解修理と余談

数年前、Twitterで親交のある方よりコニカ1型をお譲りいただいたのがコニカ1型との初めての出会いでした。

 

あれは結局修理し作動する状態にはしたもののお世辞にも戦後すぐの品ということもあり玉の状態が良くなく結局試写はせずお蔵入りに。

 

それから2年後のハードオフへの初詣でコニカ1型の派手なジャンクを買ったり前玉無しのジャンクを買ったり...とジャンクを買いまくったもののレンズの玉の状態が良いものに出会えなかったわけですよ。

 

なぜこのカメラに執着するかというと...

まず第一にボディが戦時設計のX線撮影用カメラRubikonがベースになっており独特で興味が惹かれるということのほかに、コニカ1型2.8付きは3群5枚のヘリアー型レンズが採用されているということ。そして小西六の戦後初の新機種であるということ。

 

ですかね。

 

https://w.atwiki.jp/konica/pages/16.html

 

私の敬畏する森羅 誠氏の書かれたコニカ1型の解説Wiki

 

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今回こそは...と入手した1型

 

Made in Japan表記の最終に近いコニカ1型...らしい

 

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肝心のレンズは...擦り傷に見え一瞬ダメかと思ったんですけど一群と二軍の間のカビのみで上々!

 

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そうと決まればサクッと分解

ちなシャッターは初め全く作動しませんでした。

材質が良いのでなんとかなるでしょうと。

 

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スローガバナ等の部品を分解しベンジン超音波洗浄

 

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羽を清掃した後、注油しつつ組み立て

 

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まぁ、ありでは。

 

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綺麗なシャッター。

オキュパイドジャパン時代のコニラピッドはもうちょい精度が低く重かった覚えがありますが、この頃になると国産最高級のセイコーシャラピッドと同等に軽やかに作動しますね。1/500が重いのはコンパーラピッドコピーの欠点ですな...

 

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お次はヘリコイド。

エルマーのようにマイナスネジだけで無限遠、最短が規制されているタイプなので非常に簡単に分解できますね。

直進ヘリコイドは面倒すぎて...

 

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洗浄後ヘリコイドグリスを交換し組み込み...

 

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お次は距離計部分。

最近ハーフミラー切り出しができるようになったので状態が悪ければ交換しようと思っていたのですが、予想以上、てか相当状態がよかったのでそのままです。

 

コニカ独自のレンズ移動式の凹メニスカスレンズ移動型の距離計ですね。

III型まで見ることができるそうです。

 

ノブ巻き上げの35mm距離計連動カメラとなると途端にライカコピーライカコピー叫ぶ方がおりますが、もう既に1938年の段階で一眼式距離計が特許申請がされているわけで全く独創的なカメラなんでしょうね。

 

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ニコンカメラ創世期の苦労話である「明るい暗箱」を読んだことがある方は知っていると思いますが、日本光学終戦直後の民需品転換の頃35mmレンズ交換式カメラの前に当時流行りの二眼レフを作ろうと模索した時期がありました。

 

まあ、日本光学が出すのですから最高の性能でなければ、と1/500搭載コンパーラピッド系のシャッターを探すのですが...まだかのセイコーシャラピッドも登場しておらず

国内では生産できる設備がなかったそうです。

 

そこで日本光学が機器を貸与し複数のメーカーに作らせようとしたものの、実用になる品はできず結局二眼レフはボツに。

今思うと東京光学のように日本光測器製プロンタータイプシャッター付きの廉価機種でもよかったんじゃないかと思うんですけどそこは日本光学のプライド?が許さなかったんでしょうね。

 

ちなみにキヤノン(精機光学)も戦後の事業拡大時にスプリングカメラ二眼レフを試作したことがありました。しかし当時社長の御手洗毅氏の「高級35mmカメラに集中すべき」という強い意志によって破談に。キヤノンの経営が強い根幹である選択と集中の基礎ですなあ。

 

そんなコンパーラピッド型シャッターが作れなかった当時に小西六独自にコンパーラピッド型シャッターを作って初の民生用35mmカメラに付けてしまう技術力の高さはさすがだと思うんです。

 

初期のKONIRAPIDはたしか本家同様レリーズでバルブならびにタイムが開閉するタイプだった気がします。ちょっと違うんですけど。

国内でコンパーラピッド型を製造できるのが小西六くらいしかなかったからかかのヤルーフレックスに搭載されたのもコニラピッドでしたね。

 

 

ちなみに詳しいお方にツッコミされるとアレなのでセイコーシャラピッドについて追記しておくと、精工舎は戦中の1941年には精工舎に在籍していた中川氏が中心となり00番のラピッドセイコーの試作品2ダースを既に製作していたものの軍需品の生産が中心となる中で生産中止とされたそうな。

 

それが戦後20年12月(戦後初のニッコールNikkor-Q.C 5cm F3.5もその頃だったはず)に生産再開をしていたらしいです。

終戦直後のセイコーシャラピッドの搭載機といえばMAMIYA SIX III等ですけど、戦後すぐの頃はカメラ生産イコール外貨獲得でしたので27年頃までマミヤは国内には少数しか回ってこなかったらしいですね。

 

マミヤシックスが独創的で品質も高く人気があったのは言うまでもないですが、そのほとんどにセイコーシャラピッドが搭載されていたと思うと他メーカーに回ってこなかったのは想像に難くありません。

 

そんなこんなでラピッドタイプシャッターを搭載したコニカはすごいなーというお話でした。(どっちが本題かわからねえな)

ちなみに僕の腕時計がセイコーばかりなのはセイコーシャラピッドへの憧れからです。