にこらのブログ(カメラ修理館)

クラシックカメラを修理、収集している学生のブログです。

OLYMPUS 35-S(1.9)の余談と分解修理、試写

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オリンパス35-S f/1.9付です。

国産初のF2を切るレンズシャッターカメラということ(後述)、また個人的にデザインが好みで長らく状態の良いものを探していましたがようやく巡り合わせがあったので入手してみました。

 

中学2年のころ、都内某所で非常に綺麗なオリンパス35-Sを見かけスルーして以来ですね。まぁ別に、機会があれば入手してみたい程度のもので喉から手が出るほど欲しいほどではなかったものの心残りだったのです。

 

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当時の広告です。左ページには同時発表のオリンパスフレックスA f/2.8付が掲載されていました。まさに大口径時代。

イカコンタックスとそれらの模倣から始まったニコンキヤノン、ニッカ、レオタックス等高級35mmレンジファインダーカメラは多くの写真家が愛用し、クラシックカメラ界では未だ絶大な支持を受けていますが、大衆的なアマチュアが愛用した中級35mmレンジファインダーカメラについては心做しか多く語られることがない気がします。

 

材料も設計も贅沢なものを採用できず、購入層が大衆のために性能面で特徴を持たせなければならないというマーケティング上の都合も加わり設計者ならびに企画者は苦心を重ねたのではないでしょうか。そういったところが面白いと感じるんですよね。

 

同様のことを春頃書いたペトリV6IIの記事にも書いた気がします。

 

オリンパス35-S 1.9付登場時の記事には

「先ごろアイレス写真機からF2付のアイレス35IIIが発売されたばかりだが、今度はF2を通りこしてF1.9という大口径レンズがついたカメラがあらわれた(中略)この場合の0.1の差といえば、光量にして一割程度の明るさ増加にすぎぬが、感じからいうと大分明るいような気がする。」

アサヒカメラ 1956年1月号(朝日新聞社

 

”感じからいうと大分明るいようなような気がする”

おそらくマーケティング上の都合のためのスペックなのでしょう。

日本光学Nikkor-S.C 5cm f/1.4が実際にはf/1.5と大差なかったとはよく聞く話でありますが、あれは倍数系列による露出計算上の都合であってこの場合には却って露出計算は難しくなりますからね。

 

1956年といえば、ようやくネオパンSSS(ASA200増感により800)が登場した程度で大口径レンズが渇望されていた時期というのを忘れてはいけません。

Nikkor-N.C 5cm f/1.1やFujinon 5cm f/1.2、Hexanon 60mm f/1.2が登場したのもこの頃です。彼らの登場には白金るつぼ溶解が...といった話になると脱線しそうなのでやめますが()

 

そう、大衆カメラの進歩の裏には高度な技術の普及があります。

時代がまぜこぜになりますが例を上げると、生産の歩留まり向上のためのダイカスト化、高精度化、ユニット化、また現代のレンズはランタン系新型硝材の普及のみならず特殊低分散硝材に非球面レンズ(これも初期は研削によるものからモールド化)と枚挙にいとまがないのです。

 

高級カメラを持ち上げるのは簡単です。当時の最新技術がこれでもかと投入されそれだけコストが掛かっていますからね。しかしコストと戦いながら採用しうる最高の技術を投入した大衆カメラこそ美しいと思うんですよね。

 

 

今回のオリンパス35-S 1.9でいえば、ランタン系新型硝材の大衆カメラへの波及という面にあるんでしょう。

脱線しますが、テッサータイプのD.Zuikoが75mm f/3.5、45mm f/3.5(両者はおそらく拡大設計によるもの)共に三群目前側のフリントガラスが硝材により曇りが発生しやすく(8割方)よくやり玉に挙げられるのでありますが、旧タイプのD.Zuikoで発生せず新型硝材を採用したことによるもののと考えるとなんとも言えなくなりますね。

 

おそらくキヤノンレンズの同時期同種硝材採用レンズも同様の曇りを発生せていることを鑑みるとおそらく小○社の硝材なんでしょうけどね...

 

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オリンパス35-S f/1.9のG.Zuiko 4.5cm f/1.9について色々文献を漁ってみました。

 

特許公報(オリンパス光学工業,特公 昭34-379,1955-06-01)によると

N1 1.6935 V1 53.5

N2 1.7234 V2 38.0

N3 1.7400 V3 28.2

N4 1.5955 V4 39.2

N5 1.6935 V5 53.5

N6 1.6935 V6 53.5

N7 1.5183 V7 60.3

とありますので実に7枚中5枚、第1,2,3,5,6レンズに当時登場したばかりの高屈折率のランタン系新型硝材が採用されたことになるのです。

 

まだ私は詳細な設計を見たことがありませんが、高級硝材を採用したということで有名な初代ズミクロン(1953)も7枚中5枚がランタン系新型硝材だったそうです。

 

にしても変わった構成をしていますね。前群オルソメタータイプ、後群ガウスタイプの変形ダブルガウスタイプのレンズはよく標準に見かけますが、それをひっくり返し最後群の凸レンズをダブレットにしたような格好になっています。

 

...ってこれズミクロンの一群目、二群目の空気レンズを無くし前後引っくり返した構成じゃ...だから標準(35mmカメラで4.5cm)のくせして包括角度60°近くあるんですね。なかなかに変わった構成だとは思いますが。(ちなコピーではない、そんなはずはない)

 

このオリンパス35-S登場後、矢継ぎ早に同業他社からF2帯レンズシャッターカメラが登場しなべ底不況までの期間、血祭りになっていくんですね。

...血祭りはキヤノネット登場以後か()

 

 

さて、分解修理です。

セイコーシャラピッドにMFXシンクロ切り替えが追加されたセイコーシャMXが搭載されていますが、根本はセイコーシャラピッドと同じです。コンパーラピッドコピーですので普通に分解できます。

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実のところ、セイコーシャラピッドや、MXの後継SLVは何個かやってきましたがMXは未経験だったのです。戦前のドイツ特許は敗戦により無効になったことは有名ですが、シンクロコンパーの特許は戦後となりそのシンクロ接点切り替え付シャッターの開発に苦心したらしい。そのため各社構造が異なりどのような構造になっているのか気になった次第。

 

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チャージ掛かり止めレバーが付いたシンクロガバナー軸受を外すとバラけてしまいました。あらら。スローガバナーのようにユニット化されていないようです。

 

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めんどくさ(ry

一通り整備を済ませると快調に作動するようになりました。

コンパータイプシャッターはガバナーの組み込みに若干のコツが必要ですが、上手くいくとセイコーシャですから完全な精度が出せます。

 

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セイコーシャラピッド君

 

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お次に距離計のハーフミラー交換です。

当時のハーフミラーも見れなくはないのですが、蒸着が劣化で気持ち的によろしくないので交換しました。

 

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途中、距離計が作動しないというアクシデントもありましたが、距離計ユニットを外し洗浄給脂で復活。

ただこのユニット、非常に横ずれ調整がし辛いです。ガタ的な問題で手間がかかりました。中級機なりです。ただ二重像はしっかり合います。

 

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オリジナルと同じ補色系ハーフミラーですので非常に見やすいです。

銀蒸着ハーフミラーなんかに変えると更に明るく見やすくなったりしますね。

 

さて試写です。

 

フィルムにRollei RETRO 80sを使用し

レンズはG.Zuiko 4.5cm f/1.9となります。

現像はD-76にて現像(EI:80)

 

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16s f/8

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1/100 f/8 Y2使用

 

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拡大 絞っているのもありますが流石な解像度?

 

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1/500 f/1.9

 

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拡大 えげつな

 

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1/500 f/1.9

 

開放でも十分な周辺光量があり、きめ細かい描写はこの年代の国産中級LS機にしてはトップクラスの様な気がします。

それにしても実売3万円ほどの中級LS機によくもまあこれだけのコストの掛かったレンズを使用できたなあとは思います。当時の企業間での硝材価格は知るよしもありませんが、お上説得するの大変だったのでは。

 

しかし当時のフィルム事情が良くなかった(一般的なアマチュアはSSフィルムばかり)上に後年も多くのLS機に埋もれ光があたっていなかったような、そんな印象を受けますね。まぁそういうのを掘り起こすのもこの趣味の楽しいところなのかな。

 

では。