にこらのブログ(カメラ修理館)

クラシックカメラを修理、収集している学生のブログです。

キヤノン3ポピュレールとキヤノンメーター

こんにちはにこらです。

 

なんとなく暇だったもので今日の夕方、1960年代初頭のキヤノンのポピュレールと愛称の付く機種にそれぞれキヤノンメーターを付けたツイートをしたら、37いいねも貰えてしまいました。ありがとうございます。

 

みんな実は好きなのかな??(ゲス顔

 

というわけで、キヤノンにはPと冠詞のつくカメラが3台あるのでそれぞれの機種とそのキヤノンメーターの進歩を紹介しましょうか。

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手前から時計回りにキヤノンポピュレール(1959)、キヤノンフレックスRP(1960)、キヤノンFP(1964)といった具合です。

 

俗に言うケルンの衝撃、ライカM3とMRメーター(これは二年遅いんですけどね)発売以来、カメラと着脱式連動露出計の模索が始まりました。

 

それからカメラ自体に連動露出計が内蔵され、遂にTTL時代到来!となるのですが、それはまた後の話。

 

同時期他社でもニコンメーターにペンタックスメーター、ミノルタ SRメーター等相次いで発売された時代です。

 

ちなみに着脱式連動露出計と連動露出計内蔵カメラは同時期の変化です。

ニコンがFに着脱式ニコンメーターを開発した1960年にも、コニカFでは露出計内蔵を実現しています。

 

この時期のキヤノンの特徴としては、露出計を内蔵したカメラメーカーというのは露出計メーカーと共同開発し搭載するという例が多かった(マミヤオートデラックス等にはSEKONICのロゴがあったり)ようですが、キヤノンではコストカットの為に自社開発をする道を選びます。結果的にキヤノネットのコストカットに大きく影響するのも後の話。

 

具体的にはVIL用1958年初代キヤノンメーターの時点で既にキヤノン関連会社の秩父栄光社㈱にて露出計の製造を開始していたようです。(参考:「キヤノン史 技術と製品の50年」)

 

その自社開発の姿勢が、1963年のCDS光センサーによる世界初のオートフォーカスカメラの開発にも影響し、多くが長年破れなかったゼロックス複写機特許を従来式のセレンに変わりCDSを採用しゼロックスの特許を打破!キヤノン複写機分野に導いたという点では見過ごせないものがありますね。

 

キヤノンポピュレール&キヤノンメーター

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1959年高級機VILをベルトコンベアによるマスプロ化と一部機能削減で圧倒的低価格を実現したキヤノンポピュレール。

 

ほぼ同じ部品構成だったキヤノンVIL型とキヤノンメーター自体は共用です。

ただキヤノンP前後で若干構造が異なってるらしく前期後期と区切りがあったり。

 

キヤノンフレックスRP&キヤノンメーターR

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1959年に発売され大コケした(?)キヤノンフレックスの廉価版として翌年発売されたキヤノンフレックスRP。

1960年、キヤノンは従来の高級カメラのみを販売する体制に区切りをつけ、カメラを高品質に安価に大衆に向けて販売する方向に舵を切ります。

同時期にプロサービスより撤退し、1960年にはテレビ番組「タイトロープ」「秘密命令」を提供、そして1961年にはキヤノネットを発売するわけです。

 

そんな中で発売されたキヤノンフレックスRPはキヤノンポピュレールと同等に歴史的意義がありそうなものですがね。ちなみに「タイトロープ」告知の広告中にも出てきます。

 

閑話休題、このキヤノンメーターRもほぼ構成の同じキヤノンフレックスと共用です。

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使い回しで申し訳ないですが、キヤノンメーターでは直にシャッタースピードダイヤルの上に載せていましたがギアで連動するようになっています。

シャッター秒数を合わせて装着するのが面倒ですが、高さは出ないので取り回しは良いです。

 

キヤノンFP&キヤノンFPメーター

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東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が走り始めた1964年10月、キヤノンFXの6ヶ月遅れで露出計を除いた廉価版として登場したキヤノンFPです。

内部は電池室がそのまま残っているほど使い回しで、なぜそんなに時間がかかったのか、そして露出計を除いた廉価版でなんで外付けメーター?汗

 

キヤノンメーター、キヤノンメーターRともにセレンでしたが、この機種ではCDS式になります。

 

キヤノンでのCDS露出計の開発は1960年より始まりました。次世代露出計素子として注目され、既にペンタックスでは製品として出ていた気がします。スポットマチックの施策もこの頃です。

 

開発が終了するのは1962年4月秩父英工社㈱でのことでした。他社ではニコンFフォトミック、ミノルタSR-7、コニカFMとCDS露出計内蔵一眼レフが出始めた時代です。

 

若干後発感の強いキヤノン、この年にはセレンメーターを搭載し巻き上げをレバー式に改めたキヤノンフレックスRMを発売するわけですが振るわず。

 

トリガー式からレバー式に改めるに従って従来のレンズの絞りチャージ機構が底面にある方式だとストロークの方で問題が出てきたようでTTL測光の対応もあってか絞り込み方式を大きくしたFL方式に転換します。その転換での最初の一眼レフ機種がCDS内臓のキヤノンFXだったわけですね。

 

それでキヤノンFPメーターもキヤノンFXと同様のCDSメーターとなったようです。

 

ちなみにキヤノン最初のCDS内臓のメーター内蔵カメラは意外にもハーフカメラのダイヤル35でした。先進的なデザインと高性能が評価され1964年グッドデザイン賞も受賞してたり。

 

キヤノンメーターが発売されたのはたった3機種、それでもその周りの機種を探ってみると楽しいものです。

 

では。